登山道の概要

路 程
宍道町上来待小林地区の県道海潮宍道線と市道の分岐から約1Km入った所が登山口になります。
ここから高低差200m、路程1Kmを行くと地蔵堂近くに八重山展望台が在り、遠くは大山を望むことが出来ます。さらに600mを行くと大平山城跡の主郭に至ります。
主郭からは松江市・宍道湖はもとより西は大社~簸川平野、東は中海~弓ヶ浜などが眺望できます。

施 設
案内看板
 ←大平山城 600m(これは八重山山頂の案内標識です)

簡易トイレ
八重山の地蔵堂を下った先にあり、他にはありません。

休息所(ベンチ)
八重山展望台と終点(主郭)にあります

大平山城跡

概要
大平山城跡は1995年に調査され城跡が確認されたが、この城に関する伝承がなく、このような高所にこれほど整った普請の山城を築く必要性についての理由 は解明されていない。 ただ、その立地と縄張り、普請いずれをみても戦国期に築かれた陣城であり、来待川の谷筋に対する押 さえとして築かれたものと考えられる。
特徴としては、この山城は尾根筋の上に、ほぼ一直線に三群の郭群を配置し、高低差76m南北約500mにおよぶ長大な城域をもっている。
施設の説明
大平山城主郭 標高402m
主郭(しゅかく→一般的に中世城館では本丸とは呼ばない)を中心とする南郭群(みなみくるわぐん)だけでも約250mある。
ここの北端から約25m下がった地点には中郭群、さらに約160m下方には北郭群が設けられている。
堀切
(ほりきり) 約4m(底幅約2m)、高低差約5m
堀切とは、尾根伝いの攻撃を遮断するために、尾根筋を直角に切断した堀であり、山城における堀はすべて空堀である。
現状では山仕事に便利なようにということで巨石が積まれ土橋状になっているが、築城当時はもっと深かったであろう雄大な堀切である。
土塁(どるい)
土塁とは土を突き固めたり、削り残して築いた障壁のこと。多くの場合、曲輪(くるわ)の端に築いて防御性を高めようとしたものである。
この土塁は高さ1~1.5mで、主郭を中心とする郭群はそれぞれ土塁で固められているが、いずれも西側に築かれており西斜面からの攻撃に備えている。
登土塁(のぼりどるい)
北郭群と中郭群をつなぐ通路の東側に設けられており、約200m近い土塁がほぼ直線状に主郭の北端まで続いている。尾根筋の東側を伝って両郭群を連絡できるように考えられている。
(ひずみ)、折り(おり)
横矢(よこや→敵兵を横から弓や鉄砲で攻撃すること)をかけるための備えである。土塁など城外側に張り出した場合は折り、場内側に屈曲させた場合は邪という。
虎口(こぐち)
曲輪の出入口を虎口と呼ぶ。北郭群自体も大平山城全体も西側(来待川の谷筋)を防禦正面と考えている縄張りである。主郭の虎口は東側から入るように作られている。
石積み(いしづみ)
虎口の周辺などに補強の土留めとして築かれたもの。地山の自然石をうまく活用している。

大平山城跡主郭から宍道湖の眺望(大社→出雲→簸川平野→平田→松江)

大平山城跡南郭群の虎口辺りから南方(堀切方向)を望む